1992年生
父ワカオライデン 母ヒカリリーダー
24戦13勝(中央7戦1勝)
1995年、この年は日本競馬にとって大きな変革の年であった。
中央と地方の交流レースの拡充、地方馬に対する中央GⅠ開放。
そんな開放元年の象徴ともいうべき馬が、かつてオグリキャップが所属した笠松から彗星の如く登場した。
笠松で10戦10勝の実績を引っさげて登場した1頭の牝馬。
その名はライデンリーダー。
桜花賞トライアル・4歳牝馬特別に登場したライデンリーダーは2番人気に推されていた。
開放元年、地方からのスター誕生に対する期待が高かったといえる。
初めての芝にとまどいを見せたものの、直線外に持ち出すと道中もがいていたのが嘘のように豪脚が爆発。
直線一気の競馬で1番人気エイユーギャルに3馬身半の差をつけて圧勝。
かつてのハイセイコーやオグリキャップの再来を期待するファンの想像を遥かに超える、衝撃の中央デビューを飾った。
あまりの凄さに、実況していた杉本清アナが絶句してしまったのは有名な話である。
3週間後、ライデンリーダーは桜花賞に挑む。
すでに新しいスターの誕生を確信していたファンは、この大一番でライデンリーダーを1.7倍という圧倒的1番人気に支持していた。
しかし中央勢のプライドもあったか、終始厳しいレースを強いられることになったライデンリーダーは、力を出し切れないまま4着に敗れてしまった。
続くオークスでも1番人気に支持されたが、距離的な問題もあり13着と惨敗した。
秋もローズSで3着に入りエリザベス女王杯の出走権を手に入れたが、すでに春先の迫力はなくなっており13着に終わっている。
その後は地元笠松でも精彩を欠くレースを続け、復活することなく5歳春に引退した。
彼女はただの早熟馬だったのだろうか。
いや。
確かに中央では1勝しかできなかった。
しかしその一発の衝撃、そして地方競馬に与えた勇気、中央改革をさらに推進させた功績。
それは彼女を名牝たらしめるに充分なものであったと言えるだろう。
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