忘れえぬ名馬vol.6 サクラバクシンオー

~短距離戦線の歴史が変わった~

1989年4月14日生

父サクラユタカオー 母サクラハゴロモ

21戦11勝

路線変更

日本馬が唯一制していない暮れの香港競走が、この香港スプリントである。
日本馬の惨敗を見るたびに、「ああ、サクラバクシンオーがいれば」と思うのは筆者だけではあるまい。
ただ強いからというだけではない。
日本の短距離戦線の歴史を変えた馬、と言っても過言ではないからである。
サクラバクシンオーは、それだけの名スプリンターだった。

日本の競馬の礎とも言える名牝スターロッチを母に持つサクラユタカオーと、有馬記念、天皇賞を勝ったアンバーシャダイの全妹サクラハゴロモの間に生まれた子供、それがサクラバクシンオーだ。

父に似た馬格、伯父にアンバーシャダイ、従兄にイブキマイカグラがいることもあってか、デビュー前は誰も短距離馬という印象を持っていなかった。

同期にはミホノブルボン、ライスシャワーがおり(牝馬にはシンコウラブリイ、ニシノフラワーなどがいる)、デビューしてからも、クラシックを舞台にこの馬らとしのぎを削るものと思われた。

転機が訪れたのはスプリングステークス。
1800m戦で、後の2冠馬ミホノブルボンに3秒5もの差を付けられて敗れたことだ。
陣営は早々と見切りをつけ、短距離路線に転ずる。
これが功を奏した。
直後のクリスタルCでは1番人気にこたえて1着。
初の重賞制覇を果たす。

その後、マイル戦で3連敗を喫するものの、1400mのキャピタルSは快勝。
その勢いで、初のG1に挑戦する。
92年スプリンターズSである。
結果は、激しい先行争いに巻き込まれての6着。
父譲りの気性からか、一本調子の競馬しかできなかったサクラバクシンオーでは、さすがにG1では通じなかった。
もっとも、この時期は脚部不安を抱えており、それを思えばこの結果は大健闘と言えるかも知れないし、また、ここで優勝争いをするような競馬をしていたら脚が壊れてしまっていたかも知れない。
ともかく、生涯唯一の1400m以下での着外という結果を残すこととなった。
サクラバクシンオーは、ここから長期の休養に入る。

総帥の死

復帰は93年10月。
大人になってターフに戻ったサクラバクシンオーは、以前の気性も解消されハナにこだわらなくてもよくなっていた。
相変わらずマイル以上では勝てないものの、前年同様キャピタルSを快勝してスプリンターズSに挑んだ。
しかしサクラバクシンオーに、関係者全員に、思いもよらぬ悲劇が襲うこととなる。
総帥・全演植の死去である。
93年12月、サクラ軍団の総帥・全演植が病に倒れ、そして帰らぬ人となった。
サクラバクシンオーの調教師・境勝太郎、そして主戦の小島太の競馬人生を語るとき、全演植の名は切っても切れないものである。
その衝撃はどれほどのものであっただろうか。
ともかく、このスプリンターズSは陣営にとって絶対に負けられない一戦となった。
サクラバクシンオーは、全演植も期待していた馬だからである。
しかし、卓越したスピードを持っているとはいえ、重賞1勝の馬にそこまでの重責を担わせてよいものか。
いや、それでも勝たねばなるまい。
ハナ差たりとも譲れない。
陣営の思いは、まさに悲壮な決意と言えた。
この年のスプリンターズSは、前年同様強豪が顔を揃えた。
前年の覇者ニシノフラワー、そして、安田記念・天皇賞(秋)を制し、ノリに乗ったヤマニンゼファー。
2番人気に推されたサクラバクシンオーであったが、それほど楽な相手ではない。
本当に勝てるのか?
そんな陣営の不安は杞憂に終わることとなる。
直線入り口で早々と先頭に立つと、追撃するヤマニンゼファーを楽々と突き放してゴール。
全く危なげの無い、圧勝と言えるものだった。
短距離界の世代交代を告げ、またサクラユタカオー産駒初のG1制覇という、まさに天の全演植に捧げる勝利となった。

そして歴史を変えた

94年のサクラバクシンオーは更なる進化を遂げる。
マイル以上で勝てないことに変わりはないが、強い競馬はしたものの相手が悪かった、というものばかり。
勇躍挑んだ安田記念では、牝馬唯一の春秋マイル王・ノースフライトに惜敗を喫する。
凄かったのは秋初戦の毎日王冠。
後に伝説のレースと称されるサイレンススズカの毎日王冠よりも更に速いペースで逃げ、4着に粘るというレースを見せた(そのサクラバクシンオーを持ったまま交わしたネーハイシーザーもさすがだ)
そして筆者が一番強いレースだったと思う、スワンSを迎える。
ライバルはノースフライト。
春のリベンジ、そして、次戦のマイルCSに向けて、負けられない一戦だった。
このレースで、サクラバクシンオーは際立った強さを見せる。
絶好の手応えで逃げる快速馬・エイシンワシントンを持ったまま交わしたシーンは衝撃的ですらあった。
事実、その後ろからきたノースフライトはエイシンワシントンを交わすのがやっとだったのだから。
勝ちタイムは日本競馬史上初の1分19秒台。
斤量59kg、しかもこの年のスワンSが急坂の阪神競馬場で行われたことを考えると、驚愕のタイムと言わざるを得ない。
それほど強い勝ち方だった。

マイルCSではノースフライトにリベンジを許すものの、他馬は一切寄せ付けずに2着を確保。
そしてサクラバクシンオーは引退レースを迎える。
三度目のスプリンターズSである。
当然の1番人気、単勝は160円。
この年からスプリンターズSが外国馬にも開放されたものの、そんなものはお構いなしの快勝。
前年の自身のタイムを0秒8も更新しての勝利。
引退レースで最高のパフォーマンスを演じたこの馬の引退を、誰もが惜しんだ。

その2年後の96年。
高松宮記念がG1に昇格、春の短距離路線が整備された。
春は短距離戦が少なく、サクラバクシンオーほどの馬が出走機会に恵まれなかった。
このことが大きく影響しているのは間違いない。
そのサクラバクシンオーの仔、ショウナンカンプが高松宮記念を制したのは、
まさに競馬のロマンというより他にないだろう。

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